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父帰る

Posted by a-kasahara on 16.06.04 08:21
上演高校名:宮城県仙台第三高等学校(1999年)
人数:最大11名
上演時間:60分
登場人物
大輔
父1~父4
父5~父9
息子


  1   

  大輔の家のリビングルーム。部屋の真ん中にはソファー。下手に入り口のドアがある。母親は出掛けているようだ。ソファーに座り、グローブを見つめている大輔。大人になった彼なのか、子供の時の彼なのかそれはわからない。

SE Fool To Cry(THE ROLLING STONES)

大輔 今はもうしなくなってしまったこのグローブの油のにおい。あの懐かしいにおい。誕生日に父が買ってくれたグローブ。キャッチボール。家のガラスを割ったこと。初めて父のグラブにぼくの投げたボールが音を立てて吸い込まれた日。父が投げたボールを目をつぶらずに捕れた日。父が書いた名前。へたくそだけど大きくはっきり書いてあったぼくの名前。今では読めないほど薄くなってしまったけれど、確かにぼくと父はそこにいた。



  電話をしている大輔。外出している母親らしい。

大輔 だいじょうぶだって。そんなに何回も言わなくてもわかるよ。もう子じゃないんだから。食べたよ、もう。きちんと暖めました。サラダも食べました。うんうん。ゆっくりしておいでよ。ぼくは全然平気だから。おばあちゃんによろしくね。じゃあ。もう全く子供扱いなんだからな。親の方が子離れできてないじゃないか。でもずっと母さんと二人きりだったんだもんな。心配するのはよくわかるよ。

  チャイムの音。
    
大輔 はい。今頃誰だろう?
父1 ただいま。
大輔 …、と、父さん。
父1 久しぶりだね。もう何年になるかな。元気だったか。母さんはどうした。買い物か?。
大輔 買い物か?じゃないよ。どうしたんだよ。何の連絡もなしに、しかもこんなに突然。母さんどれだけ心配したか…

  チャイムの音。

大輔 はーい。ちょっと、ちょっと待って今…。
父2 ただいま。
大輔 と、父さん。えっ?(父1を振り返る)
父2 久しぶりだね。もう何年になるかな。元気だったか。母さんはどうした。買い物か?
大輔 あのう、どちら様でしょうか?
父2 水くさいな、いくら数年ぶりだからって父親の顔を忘れるなんてお前、そりゃあんまり…
大輔 だって父はもう帰ってきましたよ……一人。

チャイムの音。 大輔、おそるおそるドアに近づく。

父3 ただいま。
大輔 わー。まさかと思ったけど。
父3 久しぶりだね。もう何年になるかな…
大輔 元気だったか。母さんはどうした。買い物か?もう聞いたよ二回も。

チャイムの音。

大輔 入っていいよ。父さん。
父4 (少し影が薄いようだ)ただいま。よくわかったな父さんだって。やっぱり離れていても親子だなあ。
大輔 誰だってわかるよ、4人もくれば。だいたい非常識じゃないか、4人も帰ってくるなんて。一人帰ってくれば十分だよ。…別に帰ってきてうれしいなんて言ってるんじゃないからね。お帰りなんて言わないよ。ただ常識的に父親は一人だってことを  …
父1 いいんだよ、照れなくて。まあ数年ぶりに会うんだからお互い照れくさいところもあるけどな。
大輔 誰も照れてなんていないじゃないか。唐突すぎるって言ってるんだよ。こんなに突然、しかも4人なんて。
父2 なんだその言いぐさは。父さんだって冗談で帰ってきたわけじゃないんだ。
大輔 どう見たって冗談だよ。
父3 思うところあって、心を決めて帰ってきたんだ。でも父さん気が小さいだろ。それにずいぶん会ってなかったから印象が薄れてると思って…
全員 4倍になって帰ってきたんだよ。
大輔 そこだけ合わせて言わないでくれる。
父1 4倍に。
父2 なって。
父3 帰ってきたんだ。
父4 よ。
大輔 そういう意味じゃないってば。……勝手なんだよ、父さんは。
  ふざけてるんだよ、父さんは。昔からそうだった。
父1 それは違うよ、ふざけてるってのはなあ。
父2 ♪静かな湖畔の森の影から…
父3 ♪静かな湖畔の森の影から…
父4 ♪静かな湖畔の森の影から…  
父1 ♪静かな湖畔の森の影から…

  気まずい空気

父1 バルタン星人!
全員 ふぉっふぉっふぉっ…

さらに気まずい雰囲気

父1 す、少しふざけてるかな?
大輔 少しじゃない。
父1 だからやめようって言ったんだよ。
父3 言い出したのは君じゃないか。
父4 3人でよかったんだよ。
父2 二日に一人のペースっていうのも考えられたなあ。
大輔 仲間割れしないでくださいよ。仮にも一人の人間なんだから。
 
全員定位置に戻る。通りがかりにグローブに気づく。

父1 これは…
大輔 (奪い取り)返せよ。
父2 それは父さんが買ってやったグローブじゃないか。
父3 よく取ってあったなあ。へー懐かしい。
大輔 別に取ってあったわけじゃないさ。父さんのものを整理してたら物置から出てきたんだよ。別にこんなもん(手荒く放り投げる)…どうして帰ってきたの。
父1 このまま一生会えなくなるのはあんまりだと思ったんだよ。父さんが家を出たのはわけあってのことなんだ。いいわけがましくなるけど、それをお前に…
大輔 ぼくは別にこのままでも平気だよ。だいたい父さんなんてぼくにはいなかったも同然じゃないか。
父2 いきなりの厳しい展開だな。
父3 まあ不利な状況は最初からわかっていたことですから。
父4 このまま帰るっていうのもありますけどね。
父1 弱気になるな。何のための4倍なんだ。
父2 元手が少ないとねえ。4倍くらいじゃ。
父3 好きで家にいなかったわけじゃないさ。
父1 その通り。
父4 仕事があったんだよ。
父1 そうさ仕事さ。
父2 男は仕事なんだよ。
父1 そうなんだよ。その通りなんだよ。
父3 なぜ男は働くのだろうか。それは単に役割なのではない。そこには男が男であることの、男であり続けることの飽くなき挑戦があるのだ。昼間のパパはかっこいい!

SE START ME UP(THE ROLLING STONES)

きびきびと職場に向かうサラリーマン達。さながら戦士である。
オフィスに到着。デスクで仕事を始める。

父4 困るじゃないか。
父1 はあ。
父4 はあじゃないんだよ。
父1 ですが。
父4 こういうことだからいつまでも役がつかんのだよ。任せられるという信頼感に部下はついて来るんじゃないのかね。満足に仕事をやりきれない男に誰がついていこうと思うんだい?
父1 申し訳ありませんでした。

父、デスクに戻る

父2 気にすることないですよ。あの課長細かすぎるんだ。完璧主義っていうか、遊びがないんですよね。ぼくは松坂さんみたいな人好きだなあ。正直だし、穏やかだし、なんていうのかな一生誰かの踏み台になって終わるタイプ?
父1 黒川君、ちょっと来てくれる。
父3 なんすか。
父1 これねえ、ここんとこ違ってると思うんだけどねえ。
父3 どこすか?
父1 あのここんとこね。
父3 いや違ってないすよ。
父1 いや計算がね。
父3 計算っていったってコンピューターっすよ。
父1 入力ミスってこともあるんじゃないかなあ。電卓でやってみるとね。
父3 電卓すか?そこまでやったんなら自分で直しといてくださいよ。…(父2に)電卓だってさ、ぷっ。
父4 電話入ってますよ。
父1 あ、どうも。はい、もしもし、そうですが、ああ大輔か、どうした。会社に電話しちゃだめじゃないか。
大輔 父さん動物園の約束はどうなったのさ。
父1 何?よく聞こえないよ。動物園がどうしたって。
大輔 父さん来週は必ずって約束したじゃないか。
父1 父さんお仕事なんだよ。大事な仕事なんだ。また今度な。
大輔 今度今度っていつもそうじゃないか。父さんのバカ。
父3 父さんのバカ。
父2 バカ。
父4 バカバカバカ。
父1 なんで自分にまでバカ呼ばわりされなきゃいけないんだ。
大輔 どこがかっこいいんだい。どこに男の挑戦があるのさ。
父2 失敗しましたね。昼間のパパはみんなかっこいいと思ってたら…
父3 いやーかっこ悪かったですね思いっきり。電卓だって。
父4 ぷっ。
父1 毎日あんなじゃないさ。
父3 しかも息子の約束まで破って。いったいどっちが大事なんだ。
父1 おいどっちの味方なんだよ。
大輔 結局そのままだったよ。今度という日はやってこなかったじゃないか。
父3 父親失格だな、やっぱり。
父2 恥ずかしい。自分のことのように恥ずかしいよ。
父4 人間じゃないな。
父1 なんでここだけ俺一人責められてるんだ?
大輔 わかった?父さんはぼくのことなんかどうでもよかったんだよ。仕事のほうが大事だったんだ。それにその仕事だって…。
  帰ってよ。はっきりしたじゃないか。もう話すこともないよ。
父1 父さんにはあるんだ。話したいことが。どうしても話しておかなければならないことがあるんだよ。父親として息子のお前にしてやらなくてはいけないことが…。やり直してみよう。今までできなかったことをもう一度やり直してみよう。
大輔 ぼくはもう大人だよ。父さんの力を借りなくたって大丈夫なんだ。それにやり直すなんて口からでまかせ言わないでくれよ。
父2 なんて悲しいことだろう。少年は父の力を信じないのだった。君は忘れてしまったんだ、父がどんな気持ちで君を育てたか。父の思いがどんなに強いものか。しかし君と過ごした時間はあまりにも少なかった。父はやり直そうという。なぜそれに応えてくれないのか。君を大切に思う気持ちは、目に入れても痛くないどころか、鼻に入れても痛くない。口に入れても痛くない、その君をこの腕の中にもう一度入れたいと思うのに。
父3 帰ってあげなさい。あの遠い昔へ。父が君に話したかったその言葉の一つ一つを積み上げた高い塔のてっぺんにはきっと君の本当の父親が待っているはずだ。
父4 直角の交わりを持たずにすれ違った君に、父は一八〇度の手をあんなにひろげているじゃないか。
大輔 ぼくはもう大人だってば。
父1 いつの間にか少年は大人になったのか?いやそんなはずはない。誰かが少年に大人になることを教えたのか?いやそれは父の仕事だ。父さんは君を動物園にも連れていけなかった。勝手  に家を出ていった。もう二度と会うまいと思っていた。しかし最後の仕事をしていないことに気づいたんだ。君を大人にすること。それが父さんの最後の仕事なんだよ。
大輔 じゃあ大人ってなんなんだよ。大人になるってどういうことなのさ。
父2 ようやく仕事にかかれるようだな。
父3 本日は当大日本観光旅行ツーリストのツアーをご利用いただきまことにありがとうございます。今回のツアーは題して「星の王子様ツアー」またの名を「欽ちゃんのどーんと大人になってみよう」またの名を「父を訪ねて三千里」ということになっております。添乗員はつきませんが現地係員が丁寧なお世話をいたしますので、安心して旅をお楽しみ下さい。
大輔 そんなツアー申し込んでないよ。
父3 このツアーは申し込みは不要です。あなたがそう思った瞬間 がツアーの始まりです。大人になるってどういうことか知りたいんでしょう?
大輔 そりゃまあ。でももうぼくは大人だってば。
父3 それは行ってみればわかるじゃないか。それとも怖いのかな?子供だから。
大輔 怖くなんかないさ。行くよ。行ってやるよそれぐらい。
父1 うまいなあ、子供の扱いが。
父2 あんたの子供。
父1 そっか。
父3 それではツアーの予定を確認いたしますのでよくお聞き下さい。まず手始めにチャンバラで軽く身体をほぐしていただいて、
大輔 ちゃんばら?
父3 ごっこ遊びの基本ですねえ。私の頃は忍者部隊月光なんてございまして、はい。失礼しました。つい思い出に浸ってしまいました。続けます。ちゃんばらの後はお二人で宿題に取り組んでいただきます。これも親子のふれ合いの基本ですね。磯野波平さんさえカツオくんの宿題に頭を悩ませました。
父4 カツオ君の声が変わって違和感があるんですけど。
父3 無視して次にいきますよ。次はメインイベントお約束の動物園でございます。象からパンダからこれでもかというぐらいに見ていただきます。そしてやはり遊園地。遊園地は動物園のそばですので、ここは歩いて移動していただきます。そしてこれも定番の公園での語らい。おにぎり、ゆで卵つきとなっており  ます。その後オプショナルツアーといたしまして父親参観日を設定しております。そしてツアーの締めは大輔君も大好きなナイター観戦ということになっております。いかがです?
大輔 最後の野球だけにしてくれないかな。
父3 まあそう言わずに。おっと出発の時間が迫って参りました。それではよい旅を。いってらっしゃいませ。



近所の空き地のようだ。大輔を取り囲む父1~4。

父1 実は父さん、お前にどうしても言いたかったことがあるんだ。父さんが…
大輔 (斬りつける)でやー。
父1 ぐわー。
父2 ちゃんと聞いてくれ。お前は父さんが何で出ていったのか…
大輔 (斬りつける)どわー。
父2 く、やられた。
父3 父さんはお前が…
大輔 (斬りつける)おりゃー。
父3 く、何もしゃべる暇がない…。
父4 (何か言おうとするが)…。
大輔 どりゃー。
父4 な、何も言ってないのに。
父1 これ完全に失敗してないか?
父2 次行きましょう。(立ち上がる)
父3 身体もほぐれたところで次へ参りましょう。

  全員立ち上がって移動しかけるが。またもや全員斬られてしまう。

   4

  大輔の部屋。勉強をしている。隣に座る父。

父1 宿題か?
大輔 うん。
父1 国語だな。
大輔 うん。
父1 ほう、「詩を作ろう」か。
大輔 何にも思い浮かばないんだ。
父1 難しく考えることはないんさ。頭に浮かんだことを素直に書いていけばそれが詩になるんだ。今何考えてる?
大輔 お腹が空いた、はらぺこだ。
父1 いいじゃないか。お腹が空いた、はらぺこだ。次は?
大輔 今日のおかずは何だろな。
父1 いいねえ。今日のおかずは何だろな。次。
大輔 カレーライスとサラダかな?
父1 カレーライスとサラダかな?
大輔 メンチカツでもいいかもね。
父1 さしみもちょっと食べたいな。
大輔 さしみはちょっと苦手だな。
父1 まぐろにたいにイカはまち。
大輔 スパゲッティーにハンバーグ。
父1 お子さまランチに旗立てて。
大輔 ショートケーキをデザートに。
父1 父さんビールが飲みたいな。
大輔 …なんかレストランのメニューみたいだ。
父1 …確かに。七五調になってるのも気になるな。
大輔 いいよもう、一人で考えるから。
父1 父さん国語は苦手なんだ。他のにしよう。社会はどうだ。
大輔 社会は宿題ないもん。
父1 宿題がなくたって勉強しなくちゃ。予習が大切だって先生も言ってるだろう。大人になるためには色々なことを勉強しないといけないんだ。
大輔 もううるさいな。じゃいいよ社会で。
父1 何を習ってるんだ今。
大輔 歴史だよ。日本の歴史。
父1 父さん、地理なら得意なんだけどなあ。あ、そうそうアメリカにペンシルバニア州ってあるだろ。あれペンシル・バニアだと思ってなかったか?ほんとはなペン・シルバニアなんだぞ。あとなあロシアにウラジオストックってあるだろ。あれもなウ  ラジ・オストックが正しいんだぞ。ちなみにな、ペレストロイ  カってあったろ。ペレ・ストロイカだって知ってたか?サンテグジュペリもあんまりだよな。サン・テグジュペリだっていうんだぞこれが、テグジュペリなんてなんか許せないよな。
大輔 そういうのが大切な勉強なの?
父1 …まあ少し大切かな。
大輔 大人になるにはそんなことも覚えなきゃないの?
父1 …いや覚えなきゃってほどのものでもないんだけど、たまに大人でも知らない人もいるし…。まずい展開だな。
大輔 なんか大人ってあんまり楽しそうじゃないね。勉強ってどうしてしなきゃいけないんだろう。
父1 そりゃ世の中にはいろんなことがたくさんあって、何も知らないと道に迷っちゃうから迷わないように勉強するんだよ。
大輔 だって父さんは知識なんてくだらない。何が本当に大切なことかを見つけることが一番大事だって言ってるじゃないか。
父1 偽物のことも勉強しないと何が本物かわからないじゃないか。
大輔 大切なものは目に見えないんだよ。
父1 それって星の王子様じゃないか。
大輔 象を飲み込んだうわばみの絵を「帽子の絵だ」っていうことが大人なの?
父1 …古今東西目に見えないもの。空気。
大輔 透明人間。
父1 …うーん。酸素。
大輔 におい。
父1 …うーん。二酸化炭素。
大輔 人の気持ち。
父1 …うーん。窒素。
大輔 ずるいよ父さん。思い出。
父1 …うーん。ヘリウム。
大輔 父さんの心。
父1 ……見えないものは、そこに何もないってことじゃないんだ。ただ見えないだけ。見えなくなっているだけ。それがはっきりと見えたらかえってわざとらしいものだってあるんじゃないかな。
父2 次行きますか。



  動物園のようだ。

父2 さ、次は何行く?
大輔 ぼくちょっと疲れたよ、少し休まない?
父2 まだ何にも見てないじゃないか。
大輔 だって何だか動物見てると疲れてくるんだもん。
父2 行こう行こう。

父1の前へ。

父2 ほら、ライオン。

  父1だらしなく寝そべる。

  父3の前へ。

父2 ほらシロクマ。

  父3だらしなく寝そべる。

  父4の前へ。

父2 ほらオオアリクイ。

  父4、一瞬考えるが、だらしなく寝そべる。

父2 なんかちょっと疲れた気がするなあ。
大輔 そうでしょ。
父2 何か買ってきてくれないか?
大輔 うん。

  父3のところでジュースを買う。

大輔 動物園て何が楽しいんだろう?
父2 あんなにせがんでおいてそれはないだろう。
大輔 遊園地はわかるような気がするんだ。
父2 かわいい動物がたくさんいるじゃないか。
大輔 あんまりかわいくないのもずいぶんいるけどね。
父2 それなりのかわいさがあるんだよ。
大輔 そういえば家には生き物いないね。
父2 ペットっていう感覚があんまり好きじゃないんだ。
大輔 金魚くらいはいてもいいような気もするけど。
父2 金魚はだめ。父さんが子供の頃、夜店の金魚すくいでとってきた金魚を飼ってたんだよ。一匹しかいなかったから一生懸命世話したんだ。そしたらこんなにでかくなりやがって、こんなにだぞ。うろこなんかはじけそうなんだ。こいついつかぽんって破裂するんじゃないかと思ったら気持ち悪くなって、それ以来あの色つきの魚はだめになった。
大輔 それに動物園ってちょっとかわいそうな気もするよね。こんなに狭いところに閉じこめられてさ。
父2 広いところにいるから幸せだって考えるのは人間の勝手さ。毎日餌が食べられてこんないいところはないなって思っているかもしれないじゃないか。
大輔 親子がバラバラになってしまったかもしれないじゃないか。
父2 う、またまずい展開。
大輔 この象だってさ、父さん、母さんから引き離されたのかもしれないよ。ぞうさんぞうさんだーれが好きなーの、あーのね母さんが好ーきなのよー。
父2 完璧にいけない展開。…でもな一緒にいることだけが幸せなのかなあ?一緒にいても憎みあってる人もいれば、無関心の人もいるじゃないか。離れているからって心が通じてないとは言えないと思うけどなあ。
大輔 でももし子供が危険な目に遭いそうになったとき助けるためにはそばにいなきゃだめじゃないか。
父2 ペンギンでも見に行こうか。ペンギンは鳥だからさ、卵だからさ。すぐに親離れしてさ。巣立っていくんだよね。それとも隣の遊園地行ってみるか?
大輔 ジェットコースターにしよう。             
父2 げっ。

ジェットコースターに乗る二人と父1・3・4。

父2 とーさんはなあーーーーー。(絶叫)

悲鳴と歓声。

父2 おまえのことがーーーーー。(絶叫)
父3 もうちょっと頑張ってくれよー。後がないぞーー。

暗闇のトンネルに叫び声が響いている。

  6

大輔の部屋。 

父3 まあ座れよ。
大輔 どうしたの、真面目な顔して。
父3 女の子が好きか?
大輔 なんだよ急に。
父3 いや聞き方が変だったな。好きな女の子はいるのか?
大輔 そういうことって面と向かって聞く事じゃないだろ。
父3 いや大事なことはきちんと面と向かった方が…
大輔 恥ずかしいじゃないか。
父3 まさかお前人に言えないような、あまり一般的でない趣味があるとか…
大輔 どういう意味それ。よくわかんないけど、いないよ、そんなの。
父3 まさかお前男の子が好きだなんてことは、まあ時代が時代だから驚かないけどな。父さんこう見えても広い心の持ち主なんだ。お前が好きだっていうんだったら、父さんはそれが男の子でも許すよ。
大輔 そんなこと誰も言ってないじゃないか。何一人で浮ついてるんだよ。
父3 だってやっぱりこの問題は男の子にとっては重要だからな。
大輔 考えたことないよ、そんなの。
父3 でもクラスに仲のいい子はいるんだろ。女の子で。
大輔 そりゃいるけど。
父3 その日が恋の始まり。天地真理なんて誰も知らないぞ。
大輔 よくわかんないんだ。正直言って。クラスでもああいいなって思う子と、そうでもないなって思う子といるのは何でなんだろう?
父3 それが恋愛ってもんじゃないか。いいなあ若い時代は。いいなあ恋愛のできる時代は。父さんなんかもう全然だめだからな。もう話題についていけないしな。カラオケ行っても知らない歌ばっかりだからな。へたにフォークなんて歌うと「暗いね」の一言だしな。
大輔 父さん、普段何やってんの?
父3 こりゃまずい。いや仕事の延長線上の話だよ。
大輔 父さんは何で母さんと結婚したの?
父3 そりゃ母さんが好きだったからさ。
大輔 好きってどういう気持ちなの。
父3 お前が何かを好きっていうのと変わりはないさ。
大輔 ポテトチップが好き。
父3 うーん。
大輔 野球が好き。広島カープが好き。
父3 うーん、少し違うかなあ。
大輔 母さんが好き。
父3 うーん。それは今はいいけど将来的にはちょっとまずいなあ。
大輔 じゃどういうことなのさ。
父3 恋愛とはお互いを大切に思いあうことだ。
大輔 母さんとぼくだってそうじゃないか。
父3 恋愛とはお互いに必要としあうことだ。
大輔 母さんとぼくだってそうじゃないか。
父3 恋愛とは……

  父4辞書を持ってくる。

父3 どれどれ、恋愛っと。あった。特定の異性に特別の愛情を抱いて、わかるか?二人だけで一緒にいたい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが常にはかなえられないでひどく心を苦しめる状態。またまれにかなえられて歓喜する状態。…んんん。(咳払い)
大輔 合体って?
父3 うーん、まあ合体だよ。
大輔 マジンガーZみたいな。
父3 すこーし違うけどまあそういうことにしとこう。
父4 おい大人教育じゃなくて大人の性教育になってるぞ。



学校の教室。大輔が座っている。父兄参観日のようだ。父1教室の後ろで手を振っている。

父2 起立・注目・礼。
全員 おはようございます。
父4 1時間目は数学です。今日は距離と時間とスピードについて勉強しましょう。まず公式のおさらいです。速さイコール…
父2 底辺かける高さ割る2。
父4 距離や時間のどこが底辺なんですか。公式は正しく覚えることが重要ですよ。なぜとかどうしてとか考えてはいけません。だって公式なんですから。はい誰か。
大輔 速さイコール距離割る時間。
父4 そうですね。百キロの道のりを1時間で行くとそのスピードは時速百キロということになりますね。
父3 どの道を行ったんですか?
父4 はい?
父3 どこからどこまで行ったんですか。何で行ったんですか?何しに行ったんですか?
父4 数学だから、実際に行ったってことではなくて、あくまで紙の上での…
父3 紙の上を自動車で行ったんですか?高速道路ですか?
父2 百キロだもん。高速に決まってるじゃないか。
父3 え、でもうちの父ちゃんなんか普通の道路でいつも百キロで飛ばしてるよ。
父4 静かにしなさい。今はそういうことは考えなくていいんです。大切なのは公式だって言っているでしょ。じゃあ応用問題です。
  みんなは家と学校の間をいったい時速何キロで移動しているか考えて下さい。
父2 家と学校の距離が10キロ。帰るのに30分。10割る30であれっ?
父4 時速を聞いてるのですから分を時間に直さなければなりませんよ。30分は0.5時間ですから10割る0.5で時速20キロが正解ですね。
父2 違うよ先生。昨日はぼくと一緒に公園で遊んで帰ったから時間は2時間。答えは時速5キロだよ。おとといはお母さんが病気で寝ていたから急いだのでいつもより5分も早く着いたって言ってたし。
父4 私は宮沢賢治先生じゃないですから、公式通りのお答えでいいんです。
大輔 ぼくと父さんの距離はどれくらいだったろう。ぼくと父さんの間の距離の公式は?スピードかける時間イコール距離。父さんと過ごした時間。父さんに投げたボールのスピード。父さん、ぼくと父さんの距離を教えて下さい。父さんはぼくから遠く離れてしまった。いったい何キロでこの球を投げたら父さんに届くのさ?
父4 続けますよ。それではみなさん。大人の公式を知っていますか?
父2 底辺かける高さ割る2。 
父4 はいはい、とりあえず無視しておきますよ。
父3 女かける金イコール大人。
父4 ちょっと小学生とは思えない生々しい答えが出てしまいました。もうちょっと夢がないとますますモラトリアムな人たちが増えてしまいますよ。
父2 現実ひく夢イコール大人。
父4 またさみしい答えが出てしまいました。プラス思考で行きましょう。
父3 借金プラスローンイコール大人。
父4 先生は胃が痛くなってきました。
父2 恋人かける円周率イコール大人。
父4 なんとなく感じは出てますね。
父3 母親プラス父親プラス子供イコール大人。
父4 うん。だんだんまともになってきました。
大輔 ぼくと父さんは交わらない二つの平行線だったんだ。どっちかが少しでも傾けばその先で必ず出会うことができたのに。大  人イコールぼくプラス父プラス母ひくぼく。ぼくをマイナスする前に父さんにマイナスがついちゃ大人の公式が成り立たないじゃないか。
父4 それでは授業を続けましょう。この時間はみなさんもとても興味のある、とっても大事なことについて考えてみましょう。先生もこういうことを話すのはちょっと恥ずかしいんですが、避けては通れない大事な問題です。

生徒達ちょっとニヤニヤしている。

父4 しかも皆さんは男の子です。来るべき日に向けてしっかりとした知識を身につけなければなりません。

  黒板に大きく「セッ」と書く。

全員 おおおおお。

続けて「…トメニュー」と書く。

  気まずい間。

父4 先生間違えてしまいました。

黒板に大きく「大入」と書く。

父3 先生。わざとやってるでしょ。
父4 冗談の一つもないと65分授業は持ちません。

黒板を「大人」に訂正する。

父4 今日は大人とは何かということを考えてみましょう。

黒板に「大人とは(  )である。」と書く。

父4 さあこのかっこの中に言葉をあてはめてみましょう。「大人とはなになにである。」いいですか。
父3 はい。大人とはジャイアント馬場である。
父4 確かにジャイアント馬場さんは大人ですが、別に大きいことが大人の条件ではありませんよ。
父3 はい。大人とはアントニオ猪木である。
父4 どういうつもりで言っているのかわかりませんが、それはいい答えではありませんね。少なくとも死ぬまで現役だった馬場さんの生き方のほうがずっと大人ですから。
父3 はい。大人とはラッシャー木村である。
父4 本当に考えて言ってるかどうかわかりませんが、実はするどい答えなんですねえ。きわめて正解に近いかもしれません。しかし学校ではそれを正解とするわけにはいかないんだなあ。
父2 はい。大人とはラッシャー板前である。
父4 とりあえず無視しておきましょう。ほかにありませんか?
父3 はい。大人とは常識をわきまえた人間である。
父4 はい。正解ですね。模範的な学校の求める答えでしたね。
大輔 ぼくはラッシャー板前のほうがおもしろいなあ。
父4 そういう答えを個性的とかなんとか言っちゃって、画一化ということを唯一の悪者にしてるから学校はだめなんです。みんなも常識ある大人を目指してくださいね。見えない夢を追いかけちゃだめですよ。見えない未来に期待しちゃだめですよ。低い理想と早い妥協。これがキーワードですよ。はい、みんなでいっしょに。
全員 低い理想と早い妥協。低い理想と早い妥協。
大輔 先生、さびしくないですか。そんな大人って。
父4 (父の声で)そのさびしさをどうするかってことなんだよ。本当はそれを考えることが大事なんだ。その答えを出すことが大人になるってことなんだよ。君も少し大人に近づいたのかも  知れないね。でもその答えはまだ見つからないと思うんだ。そ  れは宿題にしておこう。
父4 (先生に戻り)今日は授業参観ということでたくさんのお父さん・お母さんがいらっしゃっています。みんなには昨日作文を書いてもらいましたね。今日はそれを発表してもらいましょう。じゃあ大輔君読んでみて。
大輔 ぼくの父。ぼくには父との思い出があまりありません。一緒に出掛けたこともないし、宿題を教わったこともありません。母の話によると、父は若い頃夢に向かって突っ走っていたそうです。そんな父を見て母はこの人と結婚したいと思ったんだそうです。しかし夢破れ、ごく普通のサラリーマンになった父に、母はよく昔の話をしたそうです。父はその話になると急に居心地が悪くなって「ちょっとたばこ買ってくる」とか言って外に出てしまうのだそうです。そしてある日たばこを買いに行った父はそのまま戻りませんでした。それからぼくは母と二人きりです。別に寂しくなんかありませんでした。母はどちらかといえば男っぽい性格でぼくと話も合いました。父を恨んだりする気持ちはありませんでした。そういう気持ちが起こるほどの関わりがなかったからかもしれません。
そんな父との思い出はキャッチボールでした。父に買ってもらったグローブで父の投げる球を捕る。そのボールのやりとりがただ一つのぼくと父のつながりでした。そしてもう一つ、何か大切な話を途中までしか聞いていないようなそんな感じがいまでも残っているのです。どんな話かも忘れてしまったけど、途中までしか聞かなかったという記憶だけが不思議に残っているのです。公園のベンチ。キャッチボール。初めて父の球を捕れた日。

チャイムの音。



  公園である。二人ベンチに座っている。

父1 お前、大人になったら何になるんだ。
大輔 マジンガーZ。
父1 まじめに聞いてるんだよ。
大輔 運転手。マジンガーZの。こうやってがーって、ロケットパーンチ。
父1 …。
大輔 父さんは何になりたかったのさ。
父1 俺か?おれはまあ。
大輔 わかった。ウルトラセブンでしょ。
父1 まあそれでもいいんだけど。とにかく人と違ったことをやりたいって思ってたよ。結局そうはならなかったけどね。当たり前が嫌だったんだ。常識にしばられない人とは違うものの見方っていうのかな、そういうことが大切だと思ってたんだ。

父、ゆで卵を手にして。

父1 なあ、コロンブスの卵って知ってるか?
大輔 知らない。
父1 昔コロンブスという人がいて…
大輔 何屋さん。
父1 まあ探検家だ。その人が卵を立ててみせると言ったんだ。
大輔 いきなり?
父1 いきなりっていうか、まあいろいろあって。
大輔 立ち上がって言ったのかな?
父1 いちいち細かいことが気になる奴だな。ビッグな人間になれないぞ。ここからだ。この話にはとっても大切な教訓が含まれているんだから良く聞くんだよ。
大輔 「キョウクン」って何?
父1 そうだなあ。大人になるために知っておいたほうがいい大切なお話。
大輔 ふーん。
父1 みんなは出来るわけがないと言ったんだ。
大輔 何が?
父1 細かいわりに忘れっぽい奴だな。卵を立てること。ここには物事を違った方向から考えて見るという…。
大輔 こうすること?(と卵を立てる)
父1 …。昔、エジソンという人がいて、
大輔 コロンブスはどうなったのさ。
父1 死んだ。
大輔 それだけ?
父1 うん。
大輔 それがどうかしたの?
父1 …。生卵じゃなくて良かったなあっていう…
大輔 どうでもいいことをすごく大切なことみたいに話すんだね。
父1 そう。どうでもいいことさ。どうでもいいことが好きなんだよ。

しばしの間。

大輔 そういえば、この間、学校で将来何になりたいですか?っていう授業あってね。
父1 まさかお前そこにもマジンガーZって書いたんじゃないだろうな。
大輔 書かないよ。父さんまだぼくのこと子供だと思ってるだろ。野球の選手って書いたんだ。そしたらね隣の席の上島君たらね「いい人になりたい」って書いてるんだよ。おかしいよね。
父1 いい人が珍しい時代だから。父さんちょっと今胸が痛くなったよ。
大輔 たばこの吸いすぎだよ。
父1 やっぱり子供だよ。まだ。
大輔 じゃあ大人ってどういうことなのさ。
父1 難しいな。
大輔 ぼくは知ってるよ。大きくなることだよ。
父1 まあはずれてはいないけど。大人になるってのはちょっと違うと思うんだなあ。
大輔 だったらね、大人になるってことは言葉だと思うな。
父1 どういう意味?
大輔 いろんな難しい言葉を使えるようになることだよ。
父1 たとえば?
大輔 日本語には一人称がない。一人称は汝の汝つまり相手にとっての私であって…
父1 難しいからってそれが大人とは限らないよ。
大輔 学校ではね。常識をわきまえることが大人になることだって教わったよ。わきまえるってのがちょっとわかんなかったけど。でも大人ってなんかあんまり楽しそうじゃないな。
父1 ああ楽しくないよ。楽しくなくなってからじゃないとやれないことを大人はやるんだよ。
大輔 どういうこと?
父1 たとえば、うーんむずかしいな。
大輔 楽しくなくなったら何もやらないんじゃないの?
父1 子供はね。
大輔 ぼくが大人になったら誰か「なった」って教えてくれるといいなあ。なってないときは「なってない」って言ってくれるといいのになあ。そしたらぼくも少しはわかると思うんだ。
父1 お前「ライ麦畑のつかまえて」になりたいなんて思ったことないか?
大輔 何それ?
父1 いやいいんだ。なんでもないよ。
大輔 それよりキャッチボールしようよ。
父1 お前まだ父さんの球、捕れないじゃないか。
大輔 今日はだいじょうぶだよ。ほらグローブだってぴかぴかだし。
父1 油を塗ったな。ちょっと塗り過ぎじゃないのか?すべって受け損なうかもしれないぞ。よーし、ピッチャー振りかぶって第一球を投げました。



  大輔の家。ボールは大輔のグローブの中に。

大輔 初めてボールを捕れた日。父さんの記憶はそこから途切れている。ぼくにはキャッチボールの相手がいなくなったんだ。このグローブのぼくの名前が読めないぐらい父さんの記憶も薄れていってしまったんだよ。
父3 野球選手になりたいって言ってたよな。
大輔 そんなこと言ったことも忘れていたよ。
父4 野球やろうか。
大輔 えっ?ナイター観戦って言ってたじゃないか。それに今更。だいたい、二人しかいないじゃないか。ばらばらに数えたって5人だよ。
父2 ああまだ息子は父の力を信じないのだった。息子を思う父親はここを甲子園球場に変えることだって出来るというのに。
父1 父をなめるんじゃない。父はどこにいたっていつでも息子を思っているんだ。息子の夢を叶えることが、その手助けをするのが父の仕事じゃないか。さあマウンドに立て。力いっぱい投げてみろ。打たれたっていい。力いっぱい自分の球を投げればいいんだ。絶対にホームは踏ませない。一段と高いそのマウンドから大人という直球をど真ん中に投げてこい。

父5・6・7・8現れる。

父5 バックはまかせろ。
父6 父を信じて。
父7 抑えようなんて思うなよ。
父8 がっちりいこうぜ。
全員 おーっ。
父1 ピッチャー振りかぶって第一球、ストライク。初球はストレートから入りました。立ち上がりはなかなかいいようです。
父2 続いてピッチャー第二球を投げました。ストライク。速い球です。相当気合いが入っています。高校生とは思えない素晴らしい球。
父3 振りかぶって第三球投げた。ストライク。バッターアウト。三球三振。これもすばらしい。
父4 ピッチャーの好投は続きます。一球も打たせないそんな気迫が感じられます。現にまだ一人のランナーも許しておりません。大輔 何が大人だ。息子を大人にすることが父の仕事だって?ぼくはもう大人なんだ。もし大人でなくたって一人で大人になって  いくよ。誰の力も借りずにね。
父1 ストラーイク。切れのあるスライダーでまたもや三振に打ち取りました。
大輔 ぼくはぼく自身の手でぼくの子供時代にゲームセットのサイレンをならすんだ。
父2 無理するなよ。スタミナも考えて、打たせてとるんだ。
大輔 誰にも打たせないぞ。誰の力も借りないぞ。ぼくがこの手でこの手で。
父3 お前一人で野球をやってわけじゃないんだぞ。ナインを信じるんだ。
大輔 いまさら父さんに何ができるっていうんだい。ぼくの父さんはもういないんだよ。どこを探しても父さんはいなかったじゃないか。
父4 お前には見えないって言うのか?守備につく九人をつなぐ絆が?
父1 お前が父さんのミットに投げ込む白い球の軌跡がお前には見えないっていうのか?
大輔 遠いんだ。父さんのミットが。見えないんだよ、父さんの顔が。
父2 試合は6回まで進んできました。2対0。ピッチャーの好投が続いています。完全試合も夢ではない。そんな気迫のピッチングが続いています。
大輔 疲れるもんか。ぼくが投げなかったら誰が投げるんだ。絶対にホームは踏ませないぞ。
父3 おーっと、フォアボールです。ツーアウトを取った後のフォアボール。この試合初めてのランナーが出ました。松坂ちょっと疲れたか?
父4 ボール。いけません。連続フォアボールです。抑えよう抑えようとする気持ちが力みにつながっているのかもしれません。ここはもっとバックを信頼して。
大輔 ぼくがエースだ。リリーフはいらない。
父5 打ったー。伸びる伸びる、左中間を破って長打コースだ。ランナー一人帰る。二人目も帰って同点。同点の二塁打です。松坂打たれました。やはり連投の疲れが出たのでしょうか。
父6 おっと、ピッチャー交代のようです。どうやらキャッチャーがピッチャーに回るようです。ライトがキャッチャー。松坂はライトに入ります。うーん好投松坂ついに降板です。
父1 あとは任せろ。
大輔 いいよもう。ここで終わりだよ。父さんの球が通用する相手じゃないさ。
父1 大人は楽しくなくなってからじゃないとやれないことをやるんだよ。 
大輔 えっ?

  SE WILD THING
  父1マウンドに立つ

父2 ピッチャー振りかぶって第一球、投げた。ボール。これはだいぶ球威が違います。このピンチの場面にこれはかなり苦しい。
父3 第二球、ボール。これははっきりとわかるボールでした。逆転のランナーを背負っての苦しい投球。大人はいつもランナーを背負うピッチャーのようなものなのか?
父4 第三球、これもボールです。ピッチャーまだストライクが入っていません。父の心は息子に通じないのか?
父2 第四球を投げた。きわどい、しかしボールです。歩かせてしまいました。ピッチャー慎重になりすぎているか?ランナー一  二塁となりました。
父3 さあピッチャーここを抑えることができるのか。まだストライクが入っていません。セットポジションに入った。第一球を投げた。ボール。またボールです。
父4 勝負だ。ここを逃したらもう一生息子との距離は縮まらないぞ。
父1 よし、勝負だ。
父3 第二球、ストラーイク。初めてのストライクが入りました。しかし危ない球です。逆転のランナーがセカンドにいます。一打逆転のピンチ。
父4 第三球投げた。打ちました。レフト前。甘い球を持っていかれました。セカンドランナーはスタートを切っている。間に合うか?レフトから好返球。クロスプレーだ。判定は?
父9 アーウト。
父2 アウト、スリーアウトです。ピンチを切り抜けました。
大輔 父さん。
父1 言っただろう。バックを信頼しろって。もうお前に任せても大丈夫だな。
大輔 父さん。
父2 7回裏。おっと、ここで再び松坂登場です。スタミナは大丈夫か?
大輔 父さん、いくよ。
父3 松坂振りかぶって第一球をなげた。ストライク。ストレートでストライクを取りました。
父4 続いて第二球ボール。しかし余裕の笑顔。先ほどの厳しい苦しい表情とはまるで違います。
父3 3球目。投げました。打ったー。サードさばいて一塁へ。ワンアウト。
父1 よーし、それでいい。打たせていこう。
大輔 頼むよ、父さん。
父1 がっちりいこうぜ。
全員 おう。
父2 先ほどとはうってかわったピッチング。コースを攻めて打たせてとるピッチングを展開しています。4球目あたりそこね。セカンド楽にさばいて一塁へ、アウト。ツーアウトです。
父3 いやー、どうしたんですかね。あの力みが嘘のようです。
父2 先ほどの苦しいリリーフピッチングを見て何か感じたのかもしれませんね。先ほどとは違う闘志が感じられます。しかし不思議なんですがストレートのスピードがどんどん上がってるんですよ。いくら力みが取れたといっても連投につぐ連投で疲れ  はピークに達しているはずなんですが、一球一球と投げるごとにスピードが上がっているんです。おーっと百四十五キロ。まったく信じられません。どこにそんな力が残っているのでしょうか?ますますスピードはあがっています。
大輔 思い出したよ。距離とスピードの公式。距離イコール時間かけるスピード。ぼくの投げる球のスピードが上がれば上がるほど、父さんとの距離は短くなる。父さんがぼくに近づいてくる。父さん、ぼくには今はっきりと父さんの姿が見える。ぼくの投げる球が、初めて父さんのミットに吸い込まれたあの日。あの日の父さんの顔が今はっきりと見えるんだ。父さん、この試合を投げ抜く力をぼくに貸して下さい。
父3 ストラーイクバッターアウト。なんと百五十キロ。信じられないスピード。信じられない力です。
父4 いよいよ最終回。得点は2対2同点のままです。さすがの松坂にも疲れが見えてきました。しかし気力で投げています。
父2 ツーアウトランナーなし。あと一人で延長戦に入ります。最後にドラマはあるのか?
父3 初球を打ったー。変化球が甘く入りました。フルスイングした打球は伸びる伸びるライト追いつくかー。ジャンプした。

ライト転倒したが、起きあがり高々とボールを示す。

父3 ファインプレー。延長戦です。松坂の力投に応えるバック。ナインの気持ちが今一つにしっかりとつながっています。
 
父2 回は延長十二回。相手のエラーで貴重な勝ち越し点をあげ得点は3対2。ここを守りきれるか松坂。しかしワンアウトの後、不運なイレギュラーでランナーを出しワンアウトランナー一塁となっています。ここはなんとしてもふんばりたい。
父2 ストラーイク。延長戦とは思えない球威です。彼のどこにそんな力が残っているのでしょうか?全く信じられません。
父3 ストライクバッターアウト。ツーアウトです。あと一人。勝利まであと一人となりました。ここで代打のようです。一打出れば同点の場面です。しかしここは気力で投げ抜きたい。

  謎のバッターが打席に入る  

父4 一球目ストラーイク。球威は落ちていません。二球目ストラーイク。真っ向から勝負にいっています。バッター追い込まれました。さあ最後の一球になるか、ピッチャー振りかぶって三球目を投げた。
 
鋭い金属音

父5 大きい大きいレフトバックレフトバック。取れるか?

大きな歓声

父2 ホームランです。逆転サヨナラホームラン。松坂打たれました。がっくりと膝をつきマウンドから動けません。力投松坂、途中リリーフにマウンドを譲ったものの再度マウンドへ、信じられないほどの力投で勝利まであと一人というところまで投げ抜きました。しかし夢はうち砕かれた。

  闇の中から現れる謎のバッター。振り返るとその背中には父の文字が。(この間父1は父9と入れ替わっている)

大輔 父さん? 
父1 さあ投げてきなさい。何度でもうちかえしてやる。投げ続ける限り、ボールの尽きぬ限り打ち返してやる。背番号は「父」しかし私はお前の父さんではない。一人の男として今お前と勝負をしている。男と男の勝負の世界。プロの洗礼を受けるがいい。

   投げる大輔 それをことごとく打ち返す父 膝をつく大輔
ゆっくりと近づく父

父1 父の手を離れることが大人になることではない。父を越えることが大人になることではない。まして二十歳になることが大人であるはずがない。君も父親になったらわかるだろう。大人になるとはどういうことか。一人でいることに一人でじっと耐えることができること、それが大人じゃないのかな。そしてそれができるものだけが父親になれるんじゃないだろうか。

父、背番号を大輔の背中にそっと置く

10

もとの部屋 父1と大輔

大輔 行くの?
父1 ああ。
大輔 母さんには会わないの?
父1 うん、あの人は大丈夫さ。父さんと違って立派な大人だから。
大輔 たまに連絡してよ。
父1 ああ生きてたらね。
大輔 …父さんなんで家を出たの?
父1 …父さんは、一人の男に戻りたいと思ったんだよ。なんども帰ろうと思ったんだ、あの平和な日常の中へ。しかしそこには君の父親という役をこなす自分がいるだけだった。本当の自分が見えなくなっていたんだよ。この数年間は父さんの自分探しの旅だったってわけさ。そうして一人で暮らしてみて父さんは孤独と引き替えに自分を見つけられたんだ。やっと大人になったってわけさ。だからようやく君の父親として胸を張って帰って来れると思ったんだよ。
大輔 でもずいぶんかかったんだね。
父1 やっぱり不器用なのかな何やっても。
大輔 このまま一緒にいればいいじゃないか。
父1 もうそばにいる必要はないさ。君はもう一人で大人になれるよ。
大輔 でももうしばらくかかるかもしれないよ。ぼくも不器用だし。だって父さんの息子だからね。

  SE Fool To Cry(THE ROLLING STONES)  
しばしの間。

父1 …ただいま。
大輔 おかえり。父さん。
父1 …行って来ます。
大輔 いってらっしゃい。…サリンジャー。
父1 えっ?  
大輔 ライ麦畑のつかまえて。

父、苦笑い。泣いているのかもしれない

父1 じゃあな。

11

  大輔グローブを持って立っている。

大輔 今はもうしなくなってしまったこのグローブの油のにおい。あの懐かしいにおい。誕生日に父が買ってくれたグローブ。キャッチボール。家のガラスを割ったこと。初めて父のグラブに  ぼくの投げたボールが音を立てて吸い込まれた日。父が投げた  ボールを目をつぶらずに捕れた日。父が書いた名前。へたくそ  だけど大きくはっきり書いてあったぼくの名前。今では読めないほど薄くなってしまったけれど、確かにぼくと父はそこにいた。
息子 父さん、何その汚いグローブ。
大輔 これは父さんの大人の証。
息子 変なの。大人ってどういうこと?
大輔 大人っていうのはね、かくれんぼの鬼みたいなもんだな。
息子 かくれんぼ?
大輔 隠れてるほうは楽しいだろう。でもいつかは見つかって楽しくなくなっちゃうんだよ。
息子 そうだね。
大輔 鬼は最初から楽しくないんだ。でも「見つけにいかなきゃな」って立ち上がるんだよ。お前はどっちがいい。
息子 ぼくは隠れる方がいいな。隠れてるとちょっと寂しくなるけど必ず鬼が見つけてくれるし。
大輔 そうだね。ゆっくりとなればいいんだ。ゆっくり。…キャッチボールするか?
息子 うん。

  SE As Tears Go By(THE ROLLING STONES)

息子外へ出ていく 大輔ドアの所へ

大輔 おかえり、父さん。

大輔出て行き、ドアがゆっくりとしまる。    
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